有鹿神社の宮鐘


 有鹿神社の宮鐘は、鳥居から境内に入ってすぐ左手にある鐘楼に収められています。
 最初に宮鐘を寄進したのは宝樹沙弥(海老名持季)で、応永24年(1417)11月3日に和泉権守恒光作の宮鐘を寄進しています。
相州田倉郡海老名郷
有賀大明神宮鐘銘文
應鑄造鐘事
夫犍槌一打。三千之衆雲集。霜鐘三振。四生之苦氷銷。故能田剡免刀輪。獄率休鑊湯。長眠聞之驚覺。永夜因之忽暁。當社所以繁榮之垂跡。所以暫添般若。𥛦道場主只鳴鐘乎。然今道人淸自造立。毎刀伏有緑。道俗各添消塵。相濟斯願。伏願生々吐如來梵響。世々曉衆生之苦聲。今不任至願。謹奉勸。
應永廿四酉丁十一月三日
勸 進 沙門剛中ロ之
大檀那 沙彌寶樹
大 工 和泉守經光

鐘銘は貞享三年正月に別當總持院から代官へ提出された古文書より。
作者の和泉権守恒光については詳しくわかっていませんが、鎌倉大仏などを造った相模鋳物師である物部氏の意匠を受け継ぐ作風であった清原氏の一族と考えられています。同じ作者の宮鐘が伊勢原市沼目の八坂神社銅鐘(県指定重要文化財)として残っています。

【鷹倉社寺考】(35p)には初代宮鐘は明応4年(1495)8月15日の地震で破損したとあり、二代目宮鐘が元禄2年(1689)3月に荻野郷新宿の鋳物師、木村清兵衛正重と木村太郎左衛門吉重作で再鋳されたとされています。年代については總持院から代官への書状にも記されています。その二代目宮鐘は昭和20年(1945)第二次世界大戦のため金属供出されてしまいました。
【海老名市史5資料編現代】(309p)の海老名市域の社寺供出梵鐘一覧にはその大きさが記載されています。
総高3尺7寸6分(142.88センチ)、笠形1尺3寸(49.4センチ)、鐘身2尺8寸3分(107.54センチ)、口径2尺1寸(79.8センチ)、厚さ2寸(7.6センチ)、撞座径3寸2分(12.16センチ)、撞座高3分5厘(1.15センチ)、乳段列5段16列

 戦前は鐘楼が八王子道を挟んだ有鹿小学校敷地の一角(かつての有鹿神社境内地)にある有鹿姫之霊地史跡の碑の場所にあったというので二代目宮鐘まではそちらにあったと思われます。有鹿小学校は昭和31年創立で、それ以前は河原口分校でした。昭和27年2月に生徒数増加のため出された増築請願書が残っています。

有鹿小学校敷地の有鹿姫之霊地史跡の碑 
平成30年現在の鐘楼


 現存の宮鐘は三代目となり、昭和53年(1978)7月に再鋳されたもので、【神奈川県神社誌】(365p)には京都の三和梵鐘株式会社による制作とあります。

宮鐘の竜頭

 鐘といえば寺院にある、という印象が強いものですが、相模国には相模川沿いの神社に多く鐘が分布しています。
 相模の神社をお詣りする時、鐘楼があるかどうか注目してみるのもいいかもしれません。



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