有鹿の森


弥生の森

有鹿神社本宮は、相模川中流域で中津川小鮎川鳩川という支流合流点の水はけのよい自然堤防上に鎮座しています。この場所には遅くとも弥生時代中期には人々の暮らす大集落があったことが河原口坊中遺跡の発掘調査で分かっています。
500を超える竪穴式住居、多彩な石器や土器、小銅鐸などの祭具、泥で空気から遮断されていたために木製の農具や生活道具が当時の姿のまま発掘されました。
その発掘調査から当時の植生環境が分かる大型植物遺体も分析されています。
カヤ種子、ヒノキ葉、スギ葉・種子・救果、モミ葉、オニグルミ核、ヤナギ属葉、サワシバ 果実、イヌシデ果実、アサダ果実、シラカシ葉・果実、ウラジロガシ葉、コナラ属果実・幼果、ムクノキ核、エノキ属葉・果実・核、コウゾ属核、クワ属核、コブシ種子、アオツヅラフジ種子、マタタビ属種子、モモ核、ウメ核、サクラ節核、バラ属A・B・C核、キイチゴ属核、フジ属芽、センダン核、トチノキ果実・種子、ツタ種子、ブドウ属種子、タラノキ核、ウコギ 属核、クサギ種子、ニワトコ種子、オオカメノキ核、サンショウ種子、イタヤカエデ果実・ 種子、イイギリ種子、エゴノキ属核、キリ種子の木本植物 37 分類、草本植物 54 分類群、シダ植物1分類。
栽培植物ではイネ、キビ、ヒエ、アサ、ヒョウタン、モモ、カボチャが見つかり、また、カツオやマグロ、アユ、メジロザメ等の魚類、イノシシ、ニホンジカ、タヌキ、ツキノワグマ、ニホンオオカミ等の獣骨も発見された。
このようなことから、弥生時代の有鹿の森では豊かな照葉樹林冷温帯落葉樹林が広がり、人々はその木を伐採して住居や道具を作り、水辺での祭祀を行い、魚や獣を狩り、畑を開墾し、近隣の後背湿地で水田稲作を行っていたと想像できます。

”松無し”の有鹿の森

江戸時代前期の禅僧、鉄牛道機が竜峰寺に滞在した時にその景色を讃えたという竜峰寺八景詩の1つ、祇林緑樹は有鹿の森を指すと考えられる。
鬱密幽叢祇樹林
薫風殿閣滴清陰
区々紫陌紅塵外
来此応須洗客心
竜峰寺のあった相模横山の高台から大山の方向を見ると、眼下には広大な海老名耕地の水田、そして相模川の流れの前には鬱蒼とした緑樹に覆われた鎮守の杜が坊中~外記河原まで広がっていたのでしょう。

現代は建物で遮られてしまっている風景(GoogleEarth)
江戸時代の漢詩に表される程の立派な森には、松の木が一本も生えていない「松無しの森」という伝承があります。
これは有鹿の神が大蛇となって上流へ上った時、大角豆の鞘で目を突いて傷を負ったという大角豆伝説から有鹿様が尖ったものを嫌い、松の葉も嫌うという話へ変化したものと考えられ、【お有鹿様と水引祭】(20p)によると「神社から座間に至るまで松は一本も無かった」としています。しかし、同じ尖ったものとはいえ、大角豆が駄目だから松も駄目とするには理由が足りない気がしますし、上郷自治会館に保管されている江戸期の上郷村古地図には松林らしき樹木が描かれており、実際にはまったくなかったとは考えられないようです。
ただし、現在の有鹿神社境内の樹木には確かにマツはなく、植生もケヤキやタブノキを中心とする常緑広葉樹林です。この植生が自然堤防地域で人の影響を受けないで発達した自然植生で、有鹿の森は古代から聖地として森と人とが共生していたことを表しています。
中世以降、木材需要の拡大により山林が荒廃、土砂の流出が進み、河川が洪水を起こす頻度が高まっていきます。寛文6年(1666)には河川への土砂流出を防ぐため諸国山川掟が出され、相模国内でも洪水対策のために享保11年 (1726)酒匂川に文命堤が作られて、後に堤防に8000本の松が植えられた時代です。相模川でも治水対策が進み、上郷、河原口でも築堤工事は行われ、堤防などに松の植樹が行われた可能性があります。ただ、森に松の植栽は行われなかったのかもしれません。それは古来より洪水が起きても水に浸らなかった森には必要ないということもありましたが、鎮守の杜を人の手から守るために「お有鹿様は松を嫌う」ということになった、という可能性があると考えています。
もう一つ、可能性があるとすれば、もっと時代は下って、太平洋戦争時に燃料として松が伐採され尽くされて松が無くなった、ということもあるかもしれません。

どういった理由にしても、大角豆伝説についてはまた別の記事で書いてみたいと思います。

現代の有鹿の森

戦前の横須賀水道工事、戦後の宅地開発ラッシュを経て。令和元年、有鹿の森は主に境内とはいえ市内でも貴重な自然植生の森を保ち青々と繁っています。
過去の史料には樹種についての記録がなく、小島庸和宮司の書いた【相模国府の所在について】の中にタブノキ、シロモダ、ソノキ、ケヤキ、ムクノキ、アカメガシとあるものと、新聞記事になったことがあるという話ですが、こちらでは確認できていません。
地元上郷で造園業を営む昇華園様(外部リンク)、有鹿神社禰宜、小島実和子様のお力によりGoogleマイマップに有鹿神社境内の樹種と位置を記録することができたので掲載します。




主な樹木を数えると、
ケヤキ19本、ムクノキ8本、タブノキ8本、イチョウ6本、クスノキ3本、エノキ3本、カゴノキ2本、スギ1本、シロダモ1本。
ソノキ、アカメガシは見られませんでしたが、昭和に入って社務所の場所を変えての建て替えが行われていますので、その時に伐採された可能性があります。

樹齢については正確なところはわかりませんが、幹の太さから樹齢500年を超えるものもあるといいます。


社務所の前のケヤキとムクノキは昭和56年に海老名市自然緑地保存樹木に指定されていて、境内の森全域も昭和62年に海老名市自然緑地保全区域に指定されています。


御神木は社殿西側のカゴノキ
大木になると樹皮が鹿の子模様になることから鹿子の木という。有鹿神社は子育てにもご利益があるということで、有鹿神社の御神木のイメージに合っている感じです。
境内三社様の背後には、先代の御神木も残っていて、こちらはタブノキ。なんと雷が落ちたのだそうで、木の中心は空洞化していますが今でも青々と葉が茂っています。雷から社殿を守り、なお生き続けている姿は力強い生命力を感じる木です。
将来の御神木もしっかりと育っていて、こちらは鳥居の右手すぐの欅根花壇(けやきねかだん)に植えられたオガタマノキ。台風の強風で枝が折れ、倒木の危険からやむなく伐木されたケヤキの根は花壇として生まれ変わり、そこに招霊の木が移植されました。この木は移植が難しいと言われ、最初は枯れかけたそうですが、見事に持ち直し、春には可愛い花もつけていました。(花の感じからカラタネオガタマかもしれません)
天岩戸神話で天岩戸前で舞った天鈿女命が手にしていた木とも言われています。

欅根花壇
他にも境内には季節ごとに参拝する人々の目を楽しませてくれる落葉樹、低木、草花が見られます。欅根花壇にはコキア、ツツジ。境内東側の有鹿天神社近くには、紅梅、白梅、河津桜、椿。天神社裏の花壇には菜の花やハーブ。社殿の後ろ側には紫陽花。そして、秋には見事に紅葉するイチョウ、カエデ。

また、境外ではありますが、有鹿の森の一部である自然堤防有鹿丘を三川公園へ向かって歩いていくとソメイヨシノが植えられています。植えられた年代はわかりませんが、おそらく公園の整備が始まった近年でしょう。

相模川の治水が進み洪水の驚異は少なくなり、燃料は木々の枝葉ではなく、電気や石油になりました。人々の暮らしが変わって、有鹿の森もまた、姿を変えていっています。
それは悪いということではなく、有鹿の森と人との新しい共生が始まったように思います。



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