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有鹿神社とその周辺の地域では少なくとも弥生時代から水、特に泉を対象にした信仰があり、相模原勝坂や河原口坊中で祭祀が行われていたと思われる遺跡や遺物が発掘されています。
そうしたことから御祭神である有鹿比女命も水の神様であるとされます。
水は泉から流れ出て、川となり農地を潤す恵み。
「水もらいの神事」はまさにその信仰の形の一つであると言えます。
では、同じく水の恵みである雨についてはどうでしょうか。
有鹿神社と雨に関係する話は【海老名市史9別編民俗】(450P)に雨乞いの話として残っています。
上郷では日照が続くと大山様へ三十~五十人の村の人がお詣りに行った。水を竹の筒にいただいてきて氏神様の有鹿神社に供えた。
その水を田へもって行き、雨が降るような言葉を唱えた。
大山様とはもちろん今の阿夫利神社のことで、上郷だけでなく周辺の村々でも雨乞いのためにお詣りする所が多くあり、あふり山=雨降り山であると言い、雨のことは大山様へということだったのでしょうか。行われていた時代がよくわからないのですが、おそらくは江戸時代に大山詣りが流行った時代以降の話だと考えられます。
持ち帰った水を一度供えてから雨乞いをするというのは、水もらいでの要素を持っているようで興味深いですね。
※現在は行われていません
大山阿夫利神社の神水 |
大山二重の滝 |
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