有鹿神社の神輿

 現在(平成30年)、有鹿神社例大祭で担がれる神輿は第二次世界大戦後、昭和28年ごろに制作されたものです。制作は神輿師、後藤直光氏。千葉県市川市行徳の有名な神輿師で年代的に四代後藤直光氏の指揮によるものと考えられます。
 担ぎ手は地元神輿保存会の「有神會(外部リンク)の他にも座間の鈴鹿明神社神輿保存会「入谷睦」、厚木神社神輿保存会「厚神会」など、周辺地域からも集まります。
 担ぎ方は江戸前担ぎです。


 今では行われていませんが、昭和30年ごろに相模川に浜降りしていた写真が社務所に飾られています。

 そして、もう一基、制作されてから二百年を越えているものと伝わっていて昭和16年7月に修理された記録があるという、今は使われていない先代神輿。
 有鹿神社禰宜さんがTwitterで写真を公開しています。


 
 過去に有鹿神社の神輿が相模川を渡御して厚木神社天王祭に参加していたという話が【海老名市史9別編民俗】(494p)に載っています。
天王様の祭りは明治初年まで旧暦の9月(7月の誤りと思われる)6日~14日までの9日間の長い祭りであったが、その後祭礼は7月15日から17日までとなった。河原口、上郷では7月14日が有鹿神社の祭りなので厚木の天王様の祭りを「後祭り」と呼んでいた。7月14日(15日か)の昼過ぎ、有鹿神社の神輿が相模川を渡り、厚木の上の土手に上り、宿を下り、大島屋、桔梗屋などのそばの橋を通って天王様まで渡御した。
【厚木神社の歴史】(19p)に祭りの期間が3日間になった時期について、厚木市金田の星野家旧蔵から見つかった日記に明治17年の記述があり、その頃には先代神輿が相模川を渡っていたことがわかります。

 江戸末期の水引祭りで勝坂有鹿谷へ渡御していたのもこの先代神輿であると思われ、鈴鹿明神社との合祭で賑やか、または激しい渡御が行われていたのではないかと想像できます。

 宝永11年(1761)に勝坂で起こった磯部村住人による有鹿神社神輿襲撃事件「有鹿出入一件」の頃も先代神輿か、となると、この事件でうけた破損を修理したことを考えると難しいかもしれません。

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