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有鹿神社本殿 |
有鹿神社本宮社殿の再建修理が行われたという伝承や記録が残るのは、天平勝宝6年(754)、応永23年(1416)、天正6年(1578)、元和8年(1622)、元文4年(1739)、嘉永2年(1849)、明治5年(1872)です。
天平勝宝6年 | 神社縁起 | 藤原広政による神殿の再営 |
応永23年 | 神社縁起 | 宝樹沙弥による大修理 |
天正6年 | 神社縁起、高座郡神社略誌 | |
元和8年 | 沼田頼輔氏所蔵古文書 | 地頭高木主水正の内室が社殿再興 |
元文4年 | 総持院所蔵古文書 | 社殿再営 |
嘉永2年 | 御宮御普請ニ付差引勘定覚帳 | |
明治5年 | 海老名市史 |
平成30年現在、現存している社殿がいつ建てられたものかは不明ですが、関東大震災でも倒壊せず、【目で見る大和・座間・海老名・綾瀬の100年】に明治期の社殿が写っている写真が残っており、江戸期から大切に修繕されて残ってきたと思われます。
本殿
本殿母屋柱の獅子と獏 |
【神奈川県近世社寺建築調査報告書】(285p)よると桁行七尺(210cm)、一間社流造、柿葺の大規模な社殿とあるが、【神奈川県神社誌】(365p)では春日造、桧板葺、1.9坪の社殿と説明されています。
内部は内陣、外陣の前後二室に分かれていて、外陣は正面の板唐戸の他に両側面に一本引建具を入れてあり、内陣の仕切りには二本丸柱を立てて板唐戸を入れてある。
この空間に神職が入り、祭祀を行うことを想定している作りと考えられていて、実際に水引祭りなどで宮司が外陣に入るといいます。
彫刻の仕事は丁寧で、向拝柱の獏の木鼻をはじめ、母屋柱には獅子と獏、正面扉両脇の菊水に竹と鳥の彩色透彫、虹梁の間に鳳凰の透彫、脇障子の昇龍透彫など、見事に施されています。
拝殿・幣殿・覆殿
天井龍絵図 |
向拝には唐破風、虹梁上と木鼻に龍の彫刻があり、有鹿大明神と書かれた扁額が飾られ、鈴と鈴緒は一組つけられています。
拝殿妻側の破風には雲に鶴の懸魚がついています。
内部は中央の身舎と左右の庇に分かれていたように見えますが現在は仕切りはありません。
天井板の天井龍絵図は江戸時代の絵師、近藤如水の作で嘉永2年(1849)ころに描かれたと考えられていて、海老名市指定重要文化財となっています。
幣殿は両流造。3坪。
覆殿は神明造。12坪。
千木は内削ぎ、鰹木は4本。本殿1.9坪を覆います。
拝殿、幣殿、覆殿は全て木造亜鉛葺で、三棟一宇となっています。
権現造のような構造ですが、本殿が覆殿に覆われているところで別と考えられたのでしょうか。
追記:社務所内には社殿の屋根が茅葺であった頃の写真が飾ってあります。背後には横須賀水道の上郷水道橋が見えていますので、大正7年以降の写真であると思われます。
木鼻の龍 |
木鼻の龍 |
鈴 |
虹梁上の龍 |
雲に鶴の懸魚 |
拝殿内 |
幣殿内 |
三棟一宇の社殿 |
覆殿の千木、鰹木 |
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